自然・暮らし・映える
信州やさか
長野県大町市八坂
四季の変化が美しい山あいの里
澄んだ空気と湧き出る清水、北アルプス連峰の素晴らしい眺め、あふれる緑は、季節を追って衣を変え、私達の目と心を潤してくれます。
道ばたに立つ多くの道祖神や集落ごとにあるお宮やお堂、藤尾覚音寺の千手観音様は、この地区の歴史や文化の香り深さを漂わせています。
自然の中で遊び、学び、たくましく育っていく子供達、ここでは、地区全体が学校であり、住民全員が先生です。ここは、山村留学の発祥地であり、子供を育てる素晴らしい環境があります。
息づく伝統と文化 Tradition & Culture
歴史 ※八坂村の誕生から大町市への合併
明治8年(1875)の全国町村制により、相川新田村・大平村・切久保新田村・大塚新田村・野平新田村・舟場村・左右村・槍平新田村の8カ村に最寄りの丹生子村枝郷菅の窪が合併して八坂村が誕生しました。
昭和32年には、旧広津村菖蒲地区を編入合併、34年に左右地区を信州新町(長野市)へ分離しました。
平成18年1月1日、合併特例法による平成の大合併により、八坂村は、美麻村とともに大町市に合併しました。
・旧八坂村の歩み(大町市役所ホームページへ)民話
- 大姥山の金太郎伝説(上篭・あげろう)
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昔、大姥山には、山姥が住んでいて、有明山の八面大王と恋仲になり、生まれたのが金太郎。力が強く、戸隠山の悪鬼を源頼光大将とともに退治し、「坂田金時」と名乗って、頼光の四天王となった。山すそを流れる川は、金太郎と熊にちなんで金熊川という。
すみかにしていた大きな岩窟は、裂け目に耳をあてると波の音が聞こえ、越後まで抜けているそうだ。越後青海の上路(あげろ)にも、山姥の洞があり、信濃の大姥山まで通じていると伝えられている。
山姥が金太郎を産んだとき、大町の市野屋に酒買いにいった。一合も入りそうにない徳利を出して三斗ついでくれと頼み、酒屋の者がしぶしぶ注いでみると、ちょうど三斗入ったら一杯になった。驚いてこれは神様に違いないと思ったとたんに、山姥の姿は消えてしまった。
- 瞽女(ごぜ)岩(鳥立・とりだち)
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鳥立に大そう大きな岩(高さ30m・幅27m)があり、ごぜ岩と呼ばれている。
昔、この岩の下に瞽女が三人いて、天気の良い日には岩の頂上の平らな所に出て、三味線をひいて楽しんでいた。どうしたのか、ある日三人でけんかを始め、三人もろとも岩から転げ落ちて死んでしまった。
今でも天気の変わり目には、その岩の近くに行くと三味線の音が聞こえるそうだ。岩の頂に瞽女たちを祀った祠(ほこら)があった。
(瞽女は三味線をひき唄を歌って暮らしを立てていた盲目の女。越後方面から多くやって来たという。)